金沢の能楽は、加賀藩前田家が武家の式楽(儀式に用いられる音楽や舞踊)として保護、育成を図り、庶民にも広く奨励したことから、加賀宝生として独自の発展を遂げ、このまちは「空から謡が降ってくる」とまでいわれるようになりました。明治維新を迎え、武士階級の衰退により一旦は衰えますが、加賀宝生「中興の祖」といわれる佐野吉之助の物心両面にわたる尽力で広く市民の間に広がり、今日の隆盛を迎えることとなりました。
導入展示室では、実際の能舞台と同じ大きさの空間で、映像を楽しみながら能の演じ手となって能舞台を探検できます。等身大の映像は、まるで実際に舞っているかのように加賀宝生の伝統を伝え続けます。むずかしく感じられる能楽の世界を映像で、金沢の伝統文化をより身近に感じることができます。
導入展示室では昭和7年に広坂に建てられていた金澤能楽堂を模型で再現し、能舞台の構造や舞台裏などを紹介しています。この能舞台は、昭和47年、石川県立能楽堂へ移築され、現在もその舞台上で加賀宝生が舞われています。
メイン展示室では、長い歴史と風土の中で育まれてきた、金沢の至宝が一堂に展示されています。加賀宝生に伝わる貴重な能装束や能面を展示するほか、金沢と能楽文化の歴史などを紹介し、能楽の長い歴史の中で育まれた、美しい世界をご覧いただけます。また、映像ギャラリーでは、加賀宝生の歴史や、金沢の伝統芸能などの映像を楽しむことができます。
加賀宝生は昭和25 年に金沢市無形文化財として認定され、その伝統が脈々と伝承されています。藩政期に前田家が能楽の一流派「宝生流」を愛好し、加賀(金沢)において、宝生流の能楽が盛んとなったことから、「加賀宝生」と呼ばれるようになりました。加賀藩前田家が保護、育成を図った加賀宝生は、庶民にも広く普及し、「金沢は空から謡が降って来る」とのたとえがでるまでに独自の発展を遂げました。加賀宝生の名称が文献に記されるようになったのは、宝生流十五代宗家宝生友干(雅号:紫雪、文久三年金沢で没)が金沢に来てから以降といわれており、謡い方や所作の一部に加賀独特の特色があることは紫雪による流布の影響と考えられています。明治維新を迎え、武士階級の衰退により一旦は衰えますが、加賀宝生「中興の祖」といわれる佐野吉之助の努力によって再び市民の間に広まり、今日の隆盛を迎えています。